【100記事記念】今の私が思うこと ー自分が生きた証とこの生きた時代の爪痕を残したいー

今まで何度かブログを書いてきて、最初から大きな目標を立ててしまいプレッシャーに負けたり、ネタ切れに悩まされたりして継続できなかったことが多々あり、そこで私の書きたいことを書きたいときに書くちょっとユルい感じで始めてみようと書き始めたこのブログですが、ななななんとこの記事で100記事目となりました!

途中いくらか停滞する時もありましたが、それでも正直ここまで継続できるとは思ってませんでした笑笑

書きたい時に書きたいことを書くというスタイルの方が私には合っているということなのでしょうかね。

記念すべき100記事目には、今まで生きてきた感想と今後の夢について書いていきたいと思います。

もうそろそろ人生の折り返し地点になる私が今思うこと

私は俗にいう「ゆとり世代」なので、日本のオタク文化のちょうど良い時代に生まれたなぁーと思います。

ポケモンや遊戯王などといった、今や世界中から愛されるコンテンツがちょうど小学校低学年の頃から流行り出した頃だったからです。

世代以外でも「ドラえもん」や「クレヨンしんちゃん」「サザエさん」「ちびまる子ちゃん」「ドラゴンボール」「ジブリ作品」など、日本が世界に誇れるコンテンツは山ほどあります。

そんな優良なコンテンツを小さい頃から触れてきて、今度は自分が作品を作りたいなと思うようになったのです。

名作は国境と時代を越える

いい曲やいい絵画、そしていい漫画やアニメは世代を超えて大切に残されていくものだと思います。

ベートーヴェンやゴッホなどはいい例です。アニメでも、たとえばポケモンがきっかけで結婚したとかよく噂に聞きますし、(現にポケモンのオンラインショップでカップル向けの商品が数多く存在する)そんな2人が結婚して、子供にポケモンの良さを伝え、その子供がポケモンに夢中になっていく。本当にいい作品は海を越え、そして世代を越えるのです。それが単純になんかいいなぁ、と。死してなお生きているみたいな。自分のつくったキャラクターが海を越え、世代を超え大勢の人に愛されていく。これはクリエイター冥利に尽きますね。

センスのない私がいうのもおこがましいですが、そんな作品をつくりたいなと思うようになりました。

そして、作品を残すことが「自分」という人間が、そして「自分」という人間が生きた時代を残すこととなると思います。

時代が変わっていくこと、忘れ去られてしまうことの恐ろしさ

私は今30数年生きてきて、時代が変わっていくことの恐ろしさを少しずつ感じています。

なじみだったお店がなくなっていく、好きだった番組が終わっていく、知っている芸能人が亡くなっていく…。段々と新しい話題についていけなくなる…。

このことは人間にも当てはまります。

人は死んだらどうなるかはわかりません。あの世があるかも知れないし、ないかもしれない。天国や地獄があるかも知れないし、ないかも知れない。

でも一つだけ言えることは、「死んでいくということは忘れ去られていく」ということです。

もし子供ができて、孫ができたのならば、ぎりぎり自分の孫くらいには認知されると思います。

しかし、それ以降の世代はどうでしょう。

考えてみてください。自分のひいお爺さん、ひいお婆さんのお名前を言えますか?さらにその上の世代の方の名前は覚えていますか?たいていの人は覚えていないと思います。

私はぎりぎりひいお爺さんとひいお婆さんの名前は言えますが、そのひいお爺さんとお婆さんの親の名前はわかりませんし、聞いたこともありません。

自分が生きていた爪痕を残したい

100億年とも言われる長い宇宙の歴史の中で、私たちの人生というのはなんと短いのでしょうか。宇宙から見れば長いと思っていた人間の一生なんてほんの一瞬にすぎないのです。

なんか寂しいですよね。このまま死ぬのは。せっかくこの世に生を受けたんだから、何か自分が生きた爪痕を残したい!私はそう思うのです。

同時に、自分が生きた時代についても記録を残したいと思うのです。

例えば、ドラえもんの作品の中で、いつもジャイアンがのび太を3本の大きな土管がある空き地に野球をしようと誘います。

現代っ子の人たちは違和感を覚えるのではないでしょうか。今じゃあまり考えられないと思います。

ましてや、ドラえもんの舞台は東京の練馬区とされています。3本の大きな土管が置けるくらいの空き地は今の練馬区には皆無でしょう。

そして、学校終わりに野球をしようかと誘う小学生も、かなり少ないのではと思います。

でも、それはドラえもんの作者、藤子不二雄さんの生きた時代だったのです。

絵画も描かれた風景などを紐解いていけば、作者の時代背景がわかります。

例えばエドワード・ホッパー作の「ガソリンスタンド」

解説には以下のようにあります。一部、引用いたしました。

車が普及し始めたこの頃には、大陸からアメリカに渡って成功した人々が華やかな生活を送る一方、彼らを追って新たに移民してきた人々が、必死でもがいているという2つの世界がありました。

さて、絵の中央に描かれた3台の赤いガソリン・ポンプの右側には、白い建物がまぶしく輝いています。そして、それとは対照的に、その奥には暗い森が潜んでおり、そこに通じる右に大きくカーブした道の先は真っ暗闇です。

そこには、光があてられた旧移民の華やかな世界と、光とは無縁の新移民の世界というコントラストが意図されており、ガソリンスタンドはこの2つの世界の分岐点として描かれているのです。

引用:https://ameblo.jp/guy503/entry-11424055627.html

このように、作品は作者の生きた証を残すだけではなく、生きた時代を後世へ伝える役目もあるのです。

いつか私も先人たちのような大作を…

ということで、小さい頃に見ていた素晴らしいアニメ、漫画のような作品を私もいつかこの世に残したいなと思うのです。もちろん、私の大好きな絵画もそうです。

自分が育って生きてきたこの素晴らしい時代を私らしい表現で後世に残していきたいのです。

それが今私の最大のモチベーションとなっています。

そしてせっかくの人生、やりたいことは全部やるつもりです。

それも健康で体力のあるまだ若いうちに。

なぜなら、人の運命や寿命って見えないものですから。

いつ死んでも悔いのないように毎日一生懸命、密度の濃い時間を過ごしたいと思います。

それと感謝を忘れずにしたいものです。これも自分の寿命がどこで訪れるかわからないので、感謝を伝えることができるときに伝えておけば後悔しなくて済むかなと思うからです。

と上記のような宣言をしてこれからも人生を楽しんで歩んでいきたいと思います。

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