なぜお年寄りたちはけん玉やコマ遊び、凧揚げ、お手玉などを継承したがっていたか分かった気がする

小学生の頃に、地域のお年寄りの方たちがきて、昔の遊びについて学ぶ機会がありました。

お年寄りたちは真剣に、かつ、嬉しそうな顔をして孫世代の、小学生だった私たちにけん玉やコマ回し、凧揚げなどの遊び方を教えていたのが記憶に残っています。

「もっとけん玉やコマ回し、凧揚げで遊んでほしい」といった風に、お年寄りの方たちはかなり熱心に私たちにその昔の遊びを教えたがっていました。

それが当時、疑問に思いました。

「昔の遊びって、そんなに面白かったのかなぁ」と。

私の小学生の時代は、ゲーム機で言えば「ゲームボーイ」、とりわけポケモンが流行っていて、カードゲームで言えば「遊戯王」が流行っている世代でした。

私も含め、同級生はそれらのコンテンツに夢中でした。

それに比べれば、けん玉やコマ回し、凧揚げは当時の私たちからすれば、あまり魅力的に映らなかったのも事実です。

でも、お年寄りたちは夢中になって当時の私たちに遊び方を教えていて、むしろ、自分達が童心に帰ったように楽しそうに遊んでいました。

私もそれらの昔の遊びを体験しましたが、「ゲームボーイや遊戯王の方が圧倒的に面白い」

と感じたのが正直なところです。

それと同時に「なんでこんなにお年寄りたちは昔の遊びを伝えるのに必死なのだろう」

と当時本当に疑問でした。

しかし、私も「おじさん」と呼ばれる年齢となり、小学生の時のお年寄りたちの気持ちがちょっとだけ理解できたような気がします。

今やゲームのグラフィックも現実世界と同等に綺麗になり、さらにApple社のVision ProのようなVRゴーグルで仮想現実を体験できるグッズでより仮想世界に没頭できるようになりました。

これからさらに科学技術が発展すると、VRゴーグルのように視覚だけでなく、嗅覚、臭覚も疑似体験できるようになれば、それは現実世界と区別できないくらいリアルに「ゲーム作品」の中に入り込んで遊べるということです。

そんな未来が到来すれば、かつてわたしたちがゲームボーイで遊んでいたポケモンや、リアルカードを使用して遊ぶ遊戯王は、未来の子供達に見向きもされないのではないかと思います。

でも、子供の頃に遊んでいて「思い出補正」がある私たちにとってそれは悲しいことです。

そのコンテンツの良さを若い人たちにもわかってほしいなと思います。

幸い、ポケモンも遊戯王もデジタルコンテンツと相性はいいので、なくなってしまうということはないでしょうが、アナログカードで遊ぶ人が少なくなったり、ゲームのシステムがどんどん新しくなり、新しい要素が追加されてまるで別ゲームのようになってしまうのかも知れません。

ですが、私たちが小学生だった頃のお年寄りたちのように、技術は残酷にも進化し、古いものを駆逐してしまいます。それが「盛者必衰」ことであり、でも必要なことだと思います。

これから新しく出てくるコンテンツの中に、未来のポケモンや遊戯王が現れてくるからです。

懐かしく思うことも大切ですが、新しいコンテンツを何でも非難するようなことは避けたいと思います。

人は自分が好きなものはやはりみんなと共有したいものですし、自分が子供の頃遊んでいたものはいつまでも大人気であってほしいものです。そのため、新しく出てきた流行ものに対し、「自分達が遊んできたコンテンツの方が面白い!」と最初は抵抗感があるものです。しかし、否定から入らずにニュートラルな気持ちで新しいコンテンツを楽しむことが、どんどんと年老いていく私たちに必要なのかなと思ったりも。

ということで、小学生の頃疑問に感じた「なんでお年寄りたちはけん玉やコマ遊びなどの昔の遊びを継承したがっていたか」に対する答えが、歳をとってみたら自然解決したのでした。

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