Xで見た「人生は常にあと”何回”の連続なわけで」に影響を受けて

  • 2025年9月25日
  • 2025年9月24日
  • 死生観
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これだからXは辞められない。

気づきを与えてくれたり、天才的な視点からの投稿を見たりすると、短文がゆえにダイレクトに心に響く。

その分、本を読むなどの割と長文への耐性は落ちてしまったが…。まぁ、これは仕方ない。いわゆる現代病というやつだ。

情報過多の現代において、コンテンツを消費しきれないのだ。音楽もサビまでが短くなったと聞く。
現代人が時間を欲するあまり、タイパを意識するあまり、せっかちになってしまったのかも知れない。

話が脱線しそうになるので、ここで話を戻し、今回「ハッと」思わせてくれた投稿がこちらだ。

万博あと3回。これ、万博だからあと何回か可視化されてるけど、人生は常に”あと何回”の連続なわけで、毎年行っている旅先もあと65回、祖母に会えるのあと18回、ステーキガツガツ食えるの6回とかってカウントが始まってるんよね。人生は通期パスじゃなくて一日券。大事に使わないとなって思いました。
引用:https://x.com/irodorist_m/status/1970486627828146397

そうだよな。

いつか死ぬか分からないが、平均寿命からすると、私もそろそろ人生の折り返しなんだよな…。
いや、不摂生している分、平均寿命よりも短命だと思う。

そう思うと、作品もあと何枚残せるのかなぁ、とか、あと何回友達と遊べるのかなぁ、とか、どのくらい新しいところに旅に行くことができるのかなぁ、と色々と考えてしまう。

すごい悲しい気持ちになるが、人はいずれ死ぬ。

今のところ、どんなお金持ちも権力者も平等に寿命はやってくる。

平和で清潔な現代日本で生活していると、普段「死」というものを意識することはないが、遅かれ早かれ、今生きている生物は確実に「死」を迎える。


考えれば考えるほど恐ろしいが、その現実を直視しなければならないと思う。

正確には、直視しなくても良いが、直視した方が残りの人生は豊かになると思う。

例えるなら、夏休み始まった時は永遠に夏休みが続くかのような気持ちでいるが、いよいよ夏休みが終わりに近づくと、「あれをやればよかった」「ここに行きたかった」など後悔が出てくる。そして、夏休みが終わるのが怖くなり、1日1日を大切に過ごすようになる。

もちろん、夏休みのように、自分の人生の終わりが見えない分、難しさはあるが、そろそろ残りの人生を大切に過ごす段階に来ているのではないかと思う。

とはいえ、現実には生活もあるので、日々生きるために精一杯の日常に溺れてしまう。
しかし、定期的に人生の棚卸しをし、やりたいことは何なのか、目標は何なのか、定期的に確認することが大事だと感じた。

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