私の座右の銘としている言葉がある。
「不撓不屈」
という言葉だ。
座右の銘とは、
座右の銘とは、いつも自分の身近に書き記して、自分の戒めとする言葉のことである。慣用句や故事、ことわざなどの中から選ばれることが多い。簡単に言うと、自分が生きていく上で大切にしている言葉のことである。
引用:https://www.weblio.jp/content/%E5%BA%A7%E5%8F%B3%E3%81%AE%E9%8A%98
と実用日本語表現辞典にはある。
そして、「不撓不屈」の意味は、
不撓不屈の「撓(とう)」の字は「たわ-む」とも読み、枝などが弓なりに曲がる、または心がくじけるという意味がある。
引用:https://www.weblio.jp/content/%E4%B8%8D%E6%92%93%E4%B8%8D%E5%B1%88#goog_rewarded
と同じく実用日本語表現辞典にある。
どんなことがあっても自分の信念は曲げずに来たつもりだ。
自分の信念とは、ただひとつ。
絵を描き続けることだ。そして、成功を収めることだ。
小さい頃から絵を描くことだけが自分のアイデンティティーだった。
だから、どんな困難な状況でも生きてこれたように思う。
やはり、人間はどこかによりどころや信念がないと困難なことに立ち向かえないような気がする。
例えば、宗教が大きな力を持つことは一般的に知られていると思う。
大切な人が亡くなったとしても、お墓を建て、祈ることでその悲しみは大分緩和されると思う。
なんとなく、お墓にいけばその当人に会えるような気がする。幽霊を信じる、信じないの話ではない。
その「気がする」というだけで十分なのである。そう思えることで悲しみは大分緩和される。
また、ホストに貢ぐ女性がよくいると聞くが、(水商売の女性に貢ぐ男性もそうだが)良いか悪いかはまた別の話だが、その人のためにと思うので頑張れるという側面もあると思う。本人にとってはそれがその一瞬だけだとしても、そのことが人生で一番なことになっていて、だから、その人に裏切られた時には殺人事件にも発展してしまうような事態となるのである。
もっと普遍的な例を挙げれば、「家族のために」と思いながら辛いサラリーマン生活を頑張っている人も多いだろう。
私はたまたまその対象が絵だった、というだけである。
そして、「画家になる」までは絶対負けない。「不撓不屈」の精神で頑張ると決めたのだ。
だから、これまで多くの逆境があったが、ここまでこれた。
恩師と呼べる人を見つけたにもかかわらず、家庭の事情で離れなければならなかったり、筆を握る大事な右腕を骨折してしまい、リハビリをしなければならないほど不自由になってしまったこともあったり、進学のための貯蓄を人に貸したがために無くしてしまったり…。
とにかくいろんな困難があったが、筆を折らずにまだこうして夢を追うことができている。
それは「絶対に画家となる」という信念と「決してあきらめない」という「不撓不屈」の精神でやってきたからに他ならない。
その決意を新たにして、思い描いている未来を叶えるまで、「不撓不屈」の精神で頑張っていきたいと思う。