みなさんはクレヨンしんちゃんの映画「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」を見たことはあるでしょうか?
昔からかなり評価の高い作品で、クレヨンしんちゃんの映画でも屈指の名作ですが、この映画を見て小さい時から疑問に思っていたことがありました。
それが「昔の匂い」を嗅いで大人たちが子供に戻る、という設定です。
正直、子供の頃は「匂いを嗅ぐだけでそんなことあるか」と思っていました。
映画を見ていない人のために、ざっくりこの映画の内容を要約すると、
「大人たちが、大人のための遊園地にのめりこんで、子供たちを見捨てる。その中で家族愛を思い出す」です。
引用:https://www.kishimamovie.com/entry/2016/06/25/110000
クレヨンしんちゃん「嵐を呼ぶ モーレツ!大人帝国の逆襲」の大まかなあらすじ
しんのすけの両親であるみさえとひろしが古き良き時代を懐かしむ大人向けテーマパーク「20世紀博」にハマり、懐かしさのあまり洗脳され、ついには実子であるしんのすけとひまわりをも無視して童心に帰り、20世紀万博から戻らなくなってしまいました。
幼稚園の先生方や近所の人たち、さらには春日部中の大人みんながそのような状態であり、ついには電気が消え、子どもたちだけ取り残されてしまいました。
なぜこのようなことになったかというと、2人の首謀者のせいです。
それがケンとチャコ。
2人の目的は「夢と希望に溢れた20世紀を取り戻すこと」
2人に言わせると今の21世紀は「汚い金と燃えないゴミしか溢れていない」そう。
そのために、彼らは大人を洗脳し、現在の子どもたちから「21世紀の匂い」を消そうと画策。
しかし、ひろしにしんのすけがひろしの臭い靴を嗅がせることにより、ひろしは洗脳から目覚めます。
そして、このテーマパークから脱出しようと企てるのですが、その中で幾度も「懐かしい匂い」に洗脳されかけます。
あまり書くとネタバレになってしまうので、あらすじはこの辺で辞めておきますが、ざっくりとこういったストーリーです。
オトナ帝国の「懐かしい匂い」に洗脳されるということが理解できなかった小学生時代
当時小学生だった私は、「懐かしい匂い」に洗脳される、ということが理解できませんでした。
そんなに「懐かしい」というものはいいものなのか、さっぱりわかりませんでした。
「匂いを嗅ぐと洗脳されて昔に戻りたくなるって、もうちょっといい設定あっただろう」とも思いました。
でも、大人となった今(正確にいうと私は今でも大人にはなりきれていないと思いますが)改めて見返すとひろしの気持ちも、そして20世紀を取り戻そうとしたケンとチャコの気持ちもわかるようになりました。
と、私がこの映画を見て思ったことを書こうとしたのですが、もうすでに私が書こうとしたことを私よりも圧倒的なクオリティーで書いていた人がいたので、その人の文章を先に紹介したいと思います。
https://note.com/m0chan3/n/n3287ed58aa10
クレヨンしんちゃん「嵐を呼ぶ モーレツ!大人帝国の逆襲」の解説記事を紹介
この映画は対比によって成り立っています。
過去と未来、20世紀と21世紀、大人と子どもです。
そして、子ども=過去には希望があり、大人=未来には希望がないということも対比になっているようです。
それを踏まえて以下、抜粋です。
私達の人生を振り返ると、子供の頃は夢と希望に溢れていた。
歳を重ねるにつれて可能性は狭まり、夢を諦めなければならない時も来る。
気づいたら就職や結婚をしていて、無限に広がっていた未来が定まってしまったと感じる。夢と希望に溢れた子供から、誰しもが大人になる。残酷だけれど、大人になることは夢や希望、可能性を捨てることでもある。どう頑張っても今からプロ野球選手にはなれないし、アイドルと結婚はできない。それは涙がでるほど悲しい現実だ。
そしていつになっても、可能性が無限大に溢れていた子供時代・学生時代は、どうしようもなく懐かしく、幸せに感じられる。
引用:https://note.com/m0chan3/n/n3287ed58aa10
正気を取り戻した後のひろしも、何度も「20世紀の匂い」に取り込まれそうになり、その度に臭い靴を嗅ぐのだ。
こう書くと、まるで大人に希望がないのではないかという風に思いますが、最後にひろしはこう叫びます。
オレの人生はつまらなくなんかない!
引用:https://note.com/m0chan3/n/n3287ed58aa10
家族のいる幸せを、あんた達にも分けてやりたいくらいだぜ!
子供のころに比べて可能性は少なくなるけれど、選択を重ねた分だけ、私の人生は「私にしか生きられない人生」になる。
引用:https://note.com/m0chan3/n/n3287ed58aa10
そんな感じです。
今私が歩んでいる人生も、歩いてきた過去も、なんとなく小さい頃思い描いていた「将来」とはかけ離れていますが、「こんな人生もありかな?」とも思います。
なんだかんだ、仲間にも恵まれ、社会人になって大変な思いもしたけども良い思い出もたくさんあり、他の人が私の人生をどう捉えるかはわかりませんが、少なくとも私は良い人生を歩めているのではと思いますし、これからもなるべく後悔が少ないように歩むつもりです。
ひろしも、もしかすると私のように、小さい頃に思い描いていた理想の形とはかけ離れているのかも知れないが、みさえやしんちゃんといったかけがえのない人たちに出会い、なんだかんだ満足のいく人生を歩んでいるように見えます。
子供と大人の対比=過去と未来の対比=昭和・平成と令和の対比=成長期と衰退期の対比
現在の日本にも閉塞感が漂っています。
「昭和の頃はよかった」「平成の頃はよかった」
みんな「ケンとチャコ」のように過去に戻りたがっているように思えます。
高度経済成長期の時やバブル真っ只中の時は、日本には希望があった。夢があった。
まさに国として「成長期」だったのでは、と思います。
私も子供から段々と大人になるにつれて、昨日できないことが今日できるようになる。どんどん体は大きくなり、体力もつく。どんどんできることが増えていく。その感覚はとても楽しかったのを覚えています。
しかし、今の日本は大人になってしまったのです。いや、もうすぐ高齢期に差し掛かろうとしています。
若い頃できたことができなくなる。体は衰え、体力がなくなっていく。
ある意味、未来が、明日が来るのが怖くなる。私個人も30を超え、もうちょっと時間が経つと「老い」と向き合わなければならないです。
今でさえ、「学生の頃はよかった」「年を取るのが怖い」こういった感情を持ちます。
しかし、生きている以上、「衰え」と「死」はどんな人であっても免れることのできない定めなのです。
でも、「世代交代」をして人類の繁栄は続いていきます。
そう考えるとある意味、日本も「世代交代」のタイミングなのかも知れないです。
一度、日本は「戦後の日本」や「バブル景気からの日本」から「Neo日本」に新しく生まれ変わるタイミングなのかも知れないです。
第二次世界大戦後、焼け野原から復活した「戦前」のように。
懐かしい「匂い」を嗅ぐと懐かしく過去を思い出すのにはエビデンスがある【プルースト効果】
とちょっと大きく脱線してしまいましたが、結局何が言いたかったかというと、大人になった今、「匂い」の威力がわかったということです。
懐かしい音楽を聴いたり、昔使っていたものを見た時も「懐かしいー」と思うのですが、昔嗅いだ匂いを嗅ぐと「立体的に」「解像度高く」過去を思い出すことができるように感じます。
なぜだかはわからないですし、匂いを嗅ぐのが一番過去を思い出せるというのも、あくまで私の主観です。
ということで、モヤモヤしたまま終わるのは嫌だったので検索してみたところ、「プルースト効果」というきちんとしたエビデンスがありました。
実は、匂いと記憶が結びつくのはただの錯覚ではないのです。
喜怒哀楽といった人間の感情を司るのは脳の大脳辺縁系という部位で、その周辺には記憶をためておく海馬があります。
人の五感のうち、これらの部位に直接情報が送られるのは「嗅覚」のみ。あとの4つは思考を司る部位をいったん経由します。
つまり、匂いを嗅いだ瞬間に昔の出来事や当時の気持ちを思い出すのは脳の仕組みが関係していて、こうした現象を「プルースト効果」と呼びます。
引用:https://www.teinei.co.jp/teinei-tsushin/detail/405
大人になって思い知らされた「懐かしい匂い」の威力
屋台の焼き鳥を焼く匂いだったり、久々に帰った時の実家の匂いだったり、帰り道のどこかの家庭の夕ご飯であろう焼き魚の香りやカレーの香り…
最近は「匂い」の威力にやられてしまい、「ケンとチャコ」に洗脳されそうになってしまっています。
でも、それではいけないですね。
きちんと「私にしか生きられない人生」「自分の人生の物語」を最後まで描ききろうと思います。
ということで、最近は目の前の現実が辛すぎて過去に戻りたいと思う日が多く、ふとクレヨンしんちゃんの「大人帝国の逆襲」の「匂いで昔を懐かしむ」ということを思い出したので、思ったことを書きました。