【北海道一周の旅】 4日目 2-2 釧路市〜網走市〜旭川市 ー網走刑務所博物館ー

JR北海道の北海道フリーパスを使って北海道1週の旅をしています。

現在釧路市にいます。

本日は網走に行って網走監獄博物館を訪れたあと、旭川に移動して宿泊します。

前回までの記事

https://setsuyaku-kakumei.com/around-hokkaido-kushiro-edition

目次

しれとこ摩周号に乗って釧路湿原など風景を楽しみつつ網走へ

釧路駅に行き、しれとこ摩周号に乗って網走まで行きます。

8時47分発です。

しれとこ摩周号では、釧路湿原をはじめ、北海道の雄大な景色を楽しむことができます。

風景は窓越しに動画で撮影しました。このブログを執筆し終えたら少し編集してYouTubeにアップロードしたいと思います。

網走駅到着

乗ること約3時間、網走駅到着です。現在時刻はちょうど12時。

これからバスに乗ってあの有名な網走監獄博物館に行きます。バスの時刻が12時40分なのでまだ時間があります。駅でちょっとだけ休んでからバス停に向かいたいと思います。

と、その前にトイレと見学の邪魔になるのであらかじめ駅のロッカーに荷物を入れて行きます。

網走監獄博物館行きのバス停の位置は分かりにくいので注意が必要

そろそろ時間なので、余裕を持ってバス停に移動。
しかし、バス停が見当たりません!駅の隣に観光協会があるのでそこで尋ねます。

尋ねた結果、駅からは若干離れていて、「すき家」の目の前にあるとのこと。
ちなみに駅からはすき家が見えなくて、Googleマップで検索してやっとバス停に到着。

初めて網走駅から網走監獄博物館へバスで向かう人は迷うと思うので、Googleマップを表示しておきます。

ゴールデン・カムイでもお馴染み 博物館網走監獄に到着!

バスに揺られて10分ほどで到着。

4月なのにまだ残雪がありました。

動画撮影、ライブ配信は禁止!写真撮影とコスプレしての入場は条件付きです!

入り口に向かうと、このような案内看板が。

何回かYouTubeで網走監獄の動画を見たことがありますが、現在では動画投稿サイトへのアップロードは禁止、ライブ配信も禁止されているようです。

もし取材目的で撮影を行いたい場合は事前に連絡して相談する必要がありそうです。
というわけで今回は撮影許可を得ていないので、動画はなしです。

写真撮影については、公式のブログで以下のようにありました。

そして、館内の写真撮影ですが、博物館網走監獄では殆どの場所での写真撮影を許可しています。しかし、館内の建造物及び博物館展示物は、博物館が所有、設置をしたものですので、その肖像権、及び著作権は博物館に帰属しています
撮影された写真を個人やお仲間で楽しまれることは自由ですが、ネットで公開する場合に広告料収入を伴うメディアを用いること、撮影された写真を有料で販売する印刷物に掲載すること、写真自体を有料で販売すること、広告等に使用することを禁止します
引用:https://blog.kangoku.jp/2019/08/blog-post.html

この記事内では広告を使用していないので、写真を公開して大丈夫だろうと判断いたしました。
※非公開要請があった場合には速やかに非公開にいたします。

そして、館内でのコスプレについてもこのようにありました。

常識の範囲内であれば大丈夫みたいです。しかし、安全面の配慮から小道具として武器を模したもの(例えば模造刀やモデルガン)を所持して入館はできないようです。

もし網走監獄博物館に行かれる際はお気をつけください。

先ず、「博物館網走監獄は入館に当たってドレスコードは設けていません。」ですから、お客様の衣服が民族衣装や、漫画、アニメ、ゲーム等の映像作品に登場するものを模したもの(いわゆるコスプレ)であっても、入館に支障はありません。
ですが通常の開館日にはたくさんの博物館観覧を楽しみに来ている方がいらっしゃいます。他のお客様が不快になるような衣装やメイクをされた方(例えば傷口や出血を模したゾンビ調のメイク、衣装)、そして公序良俗の観点から、博物館観覧だけでなく通常の場所に相応しくない肌の露出の多い衣装を着用されている場合は、ご注意をさせていただく、注意を聞いていただけない場合は入館をお断りする場合もあります。
そして最もご注意を願いたいのが「小道具として武器を模したものを携行して入館すること、館内へ持ち込むことは一切できません」と言うことです。
刀剣類や銃器類を模したものは、サイズ、材質(紙類、木質、金属、プラスチック)を問わず一切の持込を禁止とします
他のお客様から見て、武器、凶器にしか見えないものを博物館として館内に持ち込むことは許可できません。
館内には、お着替えやメイクに使っていただける場所はありません。トイレを占拠して着替えやメイクはお辞めください。
引用:https://blog.kangoku.jp/2019/08/blog-post.html

いよいよ博物館網走監獄の内部へ 特に気になった場所を抜粋して紹介します!

さぁ、ということでいよいよ中に入ってみましょう!

レンガ門目の前に人形の警備員さんが!

実際の警備員さんかと思いきや、蝋人形でした。

ちょっとビックリしました。

網走刑務所の象徴的な赤レンガ門

最初に建設された時は木造だったみたいですが、耐久性の観点、そして防犯上の理由からレンガ造りにしたと解説にあります。

ちなみにすぐ隣にはその当初の木造造りだった時代の門の再現も見ることができます。

広大な博物館内 時間には余裕を持って来場した方がいいです

そして入り口付近には博物館の全体図があります。

この全体図からも分かるように、とても広大な敷地ですので、駆け足で巡ったとしても全て見て回るのには1〜2時間、じっくり見たいのなら3〜4時間ほど必要に感じました。

全てを紹介することはできませんので、特に面白いなと思った場所について紹介して行きます。
興味を持たれた方はぜひ一度は足を運んでみることをおすすめします!

洋館風でオシャレな配色が目にとまる庁舎

一番最初に目に留まるのは庁舎。

洋館風の建物でとてもおしゃれです。なんといっても寒色をベースにした配色がとても綺麗です。

中では展示物のほか、トイレやお土産コーナー、そしてちょっとしたカフェもあり休憩できます。

当時の受刑者の数少ない楽しみのひとつだった入浴(浴場)

次に入浴施設(浴場)です。

入れ墨のある蝋人形の方がいて、人形とわかっていてもちょっと怖いです。

受刑者にとっては食事と並び、楽しみな時間だったに違いありません。

しかし、もちろん監視員がいる中での入浴となり、しかも厳密に時間制限がありました。

公式HPの説明にはこうあります。

作業場ごとに15人ずつ、看守の号令のもと、脱衣3分、第1槽入浴3分、洗身3分、第2槽(あがり湯)入浴3分、着衣3分と、合計15分間で効率よく入浴が行われましたが、1日に入浴できる人数は約200人でした。

当時の監獄則では、6月〜9月は月5回の入浴、その他の月は月1回と定められていましたが、現在では1日おきに入浴できるようになっています。
引用:https://www.kangoku.jp/exhibits/bathhouse

全体図はこんな感じ。

見えづらいですが、右奥に監視員さんがいます。

脱衣所も監視されています。

実際の監獄内部 リアルすぎてちょっと怖いかも

実際の監獄内部の再現。辛そうです。

布団や食事の様子なども再現されています。

やっぱり網走は寒い 当時の受刑者は想像を絶する寒さだったことでしょう

4月の日中でも気温は8度。当時の人の大変さが伺えます。

監獄の寒さについてこう説明があります。

「真冬には、零下三十度に下がることもめずらしくなかった。そんなときには、暖房のはいった監房のなかでも零下八度か九度とかをしめす。はいた息が壁にあたると、見るまに凍りついて、無数のこんぺいとうができる。こんぺいとうは壁にだけできるとはかぎらない。うっかりすると、眉毛のさきや鼻のあたまにもできる。しょっちゅう気をつけて鼻をもんでいないと、やけどのやうにどろどろになって腐ってしまう」

想像を絶するような環境だった監獄ですが、その建物は重厚で荘厳ささえ感じられます。

ベルギーの「ルーヴァン監獄」がモデル 当時では近代的獄舎だった放射状型獄舎

上から見るとこんな感じ。

効率よく監視できるように、当時のイギリスで定着していた放射状型獄舎を採用したそうです。

しかし、モデルとなった獄舎はベルギーの「ルーヴァン監獄」だそうです。

この獄舎はゴールデンカムイでもお馴染みです。

引用:https://www.kangoku.jp/exhibits/prison-houses-central-guard-house

この建物の設計について詳しく解説してくれている方がいたので、一部抜粋してご紹介いたします。

明治42年(1909年)に火災で、多くの建築物が焼失し、再設計した上で建物を再建することに。

この舎房再建に当たり、明治政府は諸外国に劣らない近代的獄舎の建設を企図。

イギリスを中心に定着していた放射状型獄舎の導入を決定し、網走監獄に於いてはベルギーの「ルーヴァン監獄」をモデルに、中央見張所を中心として5つの舎房を配置して、少数の人員で226室の舎房を効率よく監視できるよう造られました。
引用:https://ameblo.jp/minori87830/entry-12915486085.html

伝説の「昭和の脱獄王」白鳥 由栄(しらとり よしえ)

そんな警備が厳重で過酷な環境だった監獄ですが、その網走刑務所を含め4度の脱獄に成功した人がいます。テレビでも何度か紹介されているのでご存じの方も多いと思いますが、一応紹介します。

昭和の脱獄王 白鳥 由栄(しらとり よしえ)さんです。

その脱獄の様子も再現されていました。

さらに、当時録音された実際の肉声もこの博物館では聞くことができます。

いくら時代が古かったとはいえ、なぜ難攻不落といわれた網走刑務所を含め4回の脱獄に成功できたのか。

その秘密は彼の身体能力にあります。

身体の関節を簡単に外すことができる特異体質で、頭が入るスペースさえあれば、全身の関節を脱臼させて抜け出すことができたそう。

1日に120kmもの距離を走ることができたり、4つの手錠の鎖を引きちぎることができたりと、怪物並みの身体能力があったみたいです。

味噌汁を毎日かけて手錠の鉄を錆びさせて外すなど、その脱獄方法も突飛で面白いので興味のある方は調べてみるのをおすすめします。

※参考:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E9%B3%A5%E7%94%B1%E6%A0%84

大規模耐震改修工事の影響で一部閲覧不可(2032年頃まで)

さて、見学を続けます。

工事中で5つの舎房のうち2つは見ることができませんでした。

しかし、工事で見れないところもVRで見ることができるみたいです。
※下記リンクよりVRを閲覧できます。

https://kangoku.heritabi.com

農業をおこない自給自足の先導的施設 二見ケ岡刑務支所

今度は二見ケ岡刑務支所に行きます。

旧網走刑務所二見ヶ岡刑務支所は,明治29年,北海道集治監網走分監の屈斜路外役所として,広大な土地で農業を行い自給自足を図るため開設された。
引用:https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/245291

とあります。

雪がまだあるため、外の展示物がないですが、中で当時の作業様子の再現を見ることができます。

そして育てた野菜などは自分たちで炊事して食べた他、漬物などをつくっていたらしい。

漬け物庫には巨大な樽が展示してありました。

網走刑務所に滞在するのは受刑者だけではない 当時の看守職員の官舎も再現

こちらは刑務所で働く職員の部屋の再現です。

もちろん、24時間体制での警備が必要なので、受刑者だけではなく、看守職員とその家族も網走のこの地で生活しなければなりません。

当時の暮らしが目に浮かぶようです。

監獄食堂で実際の収容者と同じ食事を体験

大分歩いて疲れたので、食堂でお昼を食べます。

その名も「監獄食堂」

現在の網走刑務所で収容者が食べている食事のメニューを再現しているそうです。

監獄食AとBがあり、監獄食B(ホッケ定食1,200円)にしました。ちなみにAはサンマ定食(1,100円)でした。

詳細はこんな感じ。

麦飯(麦3:白米7)
焼き魚(さんま または ホッケ)
小皿・中皿
汁物
※ 本来は、みそ汁ではなく番茶が提供されています。

引用:https://www.kangoku.jp/info/prison-meals

意外と豪華。

薄味ではありますが、割と美味しいです。

監獄歴史館に行き網走刑務所の歴史、そして北海道開拓の歴史を学ぶ

最後に監獄歴史館に行き、北海道開拓の歴史から網走刑務所の歴史を学びます。

私はぜひ、日本人であるならば一度は博物館網走監獄に訪れていただきたいなと思います。

その理由は、北海道開拓の歴史と国防に深く関わっているからです。

そのことを公式HPでは丁寧に説明してくださっているので、一部公式HPから抜粋して引用致します。

明治の初めはご存じのとおり、幕藩体制から天皇制に変わったばかりで、国中が大きく揺れ動いていた時代でした。そのため、佐賀の乱や西南の役など各地で反乱が相次ぎ、「国賊」と呼ばれる時代が生んだ罪人が大量に出たのです。さらに、度重なる戦乱で国民は困窮し、心がすさみ犯罪を犯す者が後を絶たなかったため、国中の監獄は過剰状態となり、次々と新しい監獄を作らなければなりませんでした。
引用:https://www.kangoku.jp/history-culture/prison-stories/3

不凍港を求め南下政策をとるロシアの脅威から日本を守るという軍事上の理由からも、北海道の開拓は大至急行わなければなりませんでした。そのためにはまず、人を運び物を運ぶための道路を作る必要がありました。しかし、国の財政にそのような余裕はありません。そこで、考え出されたのが、増える一方の囚人を労働力として使うことだったのです。
引用:https://www.kangoku.jp/history-culture/prison-stories/3

北海道には多くの囚人が集められました。網走刑務所は最初、「網走囚徒外役所」と呼ばれ、中央道路開削工事のため、明治23年に1,200人もの囚人が送り込まれました。

道なき道を進む囚人たちの旅は、険しい地形と熊との戦いだったといいます。道央とオホーツク沿岸を結ぶ道路の開削工事が、1,000人を超える囚人により昼夜兼行で強行されました。逃亡を防ぐため、囚人は二人ずつ鉄の鎖でつながれながら(これを連鎖という)重労働に従事しました。
引用:https://www.kangoku.jp/history-culture/prison-stories/3

工事現場が山中深くへ移動するにつれ、食料運搬がうまくいかなくなり、栄養失調やけがなどで死亡者が続出する、極めて困難な工事となりました。あまりの苦痛に耐えきれず逃亡を企て、看守に抵抗しようとした者は、その場で斬り殺されたといいます。たとえ首尾よく逃げられたとしても、食料も何もない山中では、結局戻ってくるしかありませんでした。
引用:https://www.kangoku.jp/history-culture/prison-stories/3

1,000人を超える従事者のうち、看守も含め200人以上の犠牲者が出たとされています。北海道での囚人労働は、炭鉱や硫黄採取などでも行われ、そのたびに多くの犠牲者を出しました。特にこの道路は犠牲者が多く、「囚人道路」と呼ばれています。

「囚人は果たして二重の刑罰を科されるべきか」と国会で追及されるに及び、ついに明治27年、この制度は廃止されました。
引用:https://www.kangoku.jp/history-culture/prison-stories/3

しかし、この囚人労働の歴史は、その後もタコ部屋労働へと引き継がれ、本州で食いつめた労働者や外国人を巻き込みながら、大正、昭和へと続いていきます。今日の北海道の繁栄が、尊い犠牲の上に成り立っていることを、どうか忘れないでください。
引用:https://www.kangoku.jp/history-culture/prison-stories/3

今の豊かな経済大国日本は、明治時代のこうした犠牲の上に成り立っていることを忘れてはなりませんね。

ということで、博物館網走監獄の見学を終わりたいと思います。じっくりと時間をかけて見学、そして歴史の学びを深めることができました。

16時57分発の帰りのバスで網走駅まで戻ります。12時に着いたので、約5時間の滞在でした。たっぷりと楽しめました。

石北本線 特別快速「大雪」に乗り北海道第二位の都市、旭川へ

そして、コインロッカーの荷物を取って、そのまま17時49分発の石北本線 特別快速「大雪」に乗り、旭川まで向かいます。

早めに列車が来ていたので、車内で待つことにしました。

旭川へ到着!駅が綺麗

22時、旭川駅到着。大都会です!

激安ホテル ホテル オスパーコート宮前に宿泊

ホテルは約1km離れた場所にあるので、途中コンビニで夕食を購入しつつ向かいます。

着きました!

本日はこちらのホテル オスパーコート宮前に宿泊します。

温浴施設と一緒になっていて、日帰り入浴も可能です。こちらに入って長旅の疲れを癒します。

次回詳細は記入しますが、宿泊料金も3,300円と激安でした!

網走への旅でかかった経費

今回で短かったですが網走の旅が終わりました。
ここで、かかった経費を精算します。

・釧路発網走行き しれとこ摩周号:0円

・網走駅発 博物館網走監獄行きバス:260円✖️2(往復分) 

・博物館網走監獄 入場料:1,500円

・監獄食堂 監獄食B(ホッケ)昼食代:1,200円

・網走発旭川行き 石北本線 特別快速「大雪」:0円

・夕食(ローソンでお弁当とお茶):約800円くらい

・※旭川でのホテル代は旭川編で精算します。

【使用料金合計:4,020円】

ということで、今回の使用料金合計は4,020円でした。

次回は旭川の旅の様子を書いて行きます。乞うご期待!

フォローよろしくお願いします!