「真っ黒がなければ、真っ白は出せない」
これは、私の中学時代、尊敬する美術の伊東先生からいただいた言葉です。
伊東先生との思い出は、別記事にまとめてあります。もしよろしければ後で読んでみてください。
「真っ黒がなければ、真っ白は出せない」
この言葉は私の座右の銘のひとつとなりました。
もちろん、これは本来、絵の技術的なご指導でいただいた言葉だったのですが、実はそのこと以外の意味も含まれているのです。
白いキャンバスで「真っ白」を表現するには?
白いキャンバスや白い画用紙で「真っ白」な箇所を表現するにはどうしたら良いでしょう?
ただの「白」ではありません。特段の「真っ白」です。
当時中学生だった自分には答えられませんでした。
「何も塗らないで紙の白さを活かす?」
と答えたような覚えがあります。
伊東先生の美術の宿題には必ず「細密描写」と言う宿題が出されました。
筆記用具や部活道具などの身近なものを題材に、鉛筆で特徴などをよく観察してなるべく写実的に描写していくというものです。
当時私は美術部に所属していたので、プレッシャーを感じていました。
というのも、美術部だから絵が上手いはずというクラスメイトからのプレッシャーと、中学校入学当初の私は絵に影をつけることが苦手だったからです。
影をとりあえずつけとけば立体的に見えると思っていた当時の私の絵は、ほとんどが黒っぽい絵になってしまいました。
なんか、立体的じゃないし、迫力に欠ける。絵全体も陰を闇雲につけているため黒く暗い印象。
ハイライトも一番明るい場所のはずなのに、全然明るい感じがしない…。
とにかく、そんな感じで悩んで描いていたように思います。
そんな中、伊東先生がくれたヒントが先述の質問だったのです。
真っ白を表現するには、真っ黒を出せ
『白いキャンバスで「真っ白」を表現したかったら、真っ黒を出せ!中途半端に黒くするな。』
これが「答え」でした。
さらに、
『真っ白い部分と真っ黒い部分は「ほんのちょっと」でいいんだ。後の大部分はその中間のグラデーションだ。そうすれば立体感は出る』
『「真っ黒」が黒ければ黒いほど、「真っ白」は真っ白く感じる。このことを常に意識しろ!』
そうご指導いただきました。
それ以降、私は「コツ」をつかみました。
今までは立体感が出せず、今までは絵を描くことが好きでしたが、あろうことか好きなはずの絵を描くという行為がだんだんと苦痛になってきていました。
ですが、「コツ」をつかんでからというものは、今まで以上に絵を描くことが再び楽しくなっていきました。
伊東先生の格言を自分の人生に活かして
でも、こうやって大人になってみると、実は絵の技術的なことだけをご指導いただいていたのではなかったのだなと感じます。
「人生も真っ黒いところがあった方が、真っ白いところが輝く」
そう私に伝えてくれたのではないでしょうか。
お世辞にも、当時から私は世渡りが上手い方ではありませんでした。
私が人間関係で苦労していたのは、当時私たちの学年の学年主任だった伊東先生なら気づかないわけはありません。
でも、直接言ったら多分、変に繊細なところがある私を傷つけると思ったのでしょう。
人情味溢れる、昭和気質な伊東先生ならではの気遣いだったに違いありません。
でも、大人になった今、本当にそう思います。
「真っ黒」を経験しないと「真っ白」は体験できません。
「真っ黒」を知っているからこそ、「真っ白」が生きるのです。
例えば、夏休みのように毎日休みが続けば、休みの価値は小さいものになります。しかし、ブラック企業で月に2〜3回の休みしかないような状態であれば、これほど休日のありがたさを痛感することはないでしょう。
そして、その「真っ白」が小さければ小さいほど、光り輝きます。
美術の世界でもそうです。
アクセントカラーは、色の割合が他の色と比べ低いから目立つのです。
例えを出すなら、
スイカにしょっぱい塩をかけて食べるのも、よりスイカの甘みを引き出すためです。
香水にはよりいい香りと感じてもらうために少量のオナラの成分(メタン)が含まれています。
https://www.lettuceclub.net/news/article/182625/
また先ほども例を出しましたが、
会社員で繁忙期の週6で働いていた時の1日だけの休日と、学生時代の夏休みの1日では、全然「休日の価値」が違うように感じると思います。
学生時代の休みの感覚のままであれば、時間を有意義に過ごすことの大切さを知らなかったかもしれません。もっと時間を無駄に過ごしていたに違いありません。
人生の時間は有限だというのに…。
「真っ黒」を経験してよかった
自分の人生を全肯定するわけではないですが、私は「真っ黒」を経験できてよかったと思っています。
なぜなら、「真っ白」の時の幸福感を味わえたことと、人の痛みがわかるようになったからです。
「真っ白」の時の幸福感とは表現したものの、私の「真っ白」は、富や名声、異性にモテたりや海外旅行に行ったなど、わかりやすい「幸せ像」とはかけ離れたものです。
人に「ありがとう」と言われた時や、自分の作品を描いている時、友達と遊んでいる時が私にとっての「真っ白」、つまりその時が一番幸せを感じます。
人によって「真っ黒」「真っ白」の基準は変わると思います。
他人とは比較せず、あくまで自分の物差しで測ることが重要だと思います。
あとは、「真っ黒」を経験すると、人に優しくなれます。
人を許容できる「余裕」ができます。
なぜなら、「自分が痛み」を体験しているからです。
だから同じような他人の痛みもわかるようになります。
また、自分が失敗してきたからこそ、他人の失敗を許すこともできるようになります。
そういったことが、私が「真っ黒」を経験してよかったと思える点です。
とびっきりの「真っ白」を期待して生きていこう
もしこの記事を読んでくれている方が、
「自分は不幸だ」「人生楽しくない」
と感じる方がいらっしゃったら、それはある種「チャンス」と捉えていいと思います。
なぜなら、その後とびっきりの「真っ白」が待っているからです。
この世の中は、時に言葉にできないくらい残酷で暗いです。私自身、何度も絶望しました。人間ってこんなに残酷なのか、と感じたこともあります。
でも、涙が出そうなほど綺麗な景色だってあるのです。私のようなクズ人間にも、慈愛に満ち溢れた優しさを分けてくれる人だっているのです。
そんな美しい景色や優しさを感じられるのは、もしかして、絶望した経験があるからなのかもしれません。
もし神様が存在するなら、こんな絶望的な世界を作った神様は絶対性格悪いなと思ったこともあります。
でも、残酷で暗い事象があるからこそ、本当の美しいものに特段の幸せを感じれるように、あえてこのような世界をつくったのかな?とも最近思えるようになりました。
そしてあらゆることをポジティブに、前向きに考えるようにしました。
でも、現実に目を逸らさずにしっかりと向き合っていこうと思います。
そういう考え方になってから、少し生きるのが楽になりました。
だからこそ、今、自身の人生やこの世に絶望している人に伝えたいです。
「真っ黒がなければ、真っ白は出せない」
「真っ黒」を経験した後の「真っ白」は、誰も体験できない、あなただけの極上の幸せの一瞬です。
その「真っ白」のために、休憩を入れながらも、あともう一歩だけでも、歩いてみませんか?