6. 社会人時代編ー③

絵を描いて、その絵を売って生活できるのが理想ですが、どうも自信がなかった私は、食い扶持としてデザインを学ぶことにします。

でも、その時はデザイナーを舐めていたのでしょう。
学校に入るでも人に教えてもらうでもなく、「未経験OK」という職に非正規で入り、働きながらデザインの技術を学ぶ道に進みました。

でも、ご想像の通り、現実はそんなに甘くありません。

ネット通販業務だったのですが、新規事業所開設だったのでゼロからのスタートでした。

まずは商品集めから。つまり、私の苦手な営業をやらなければならなかったのです。

幸い、営業が得意な人と同行したのですが、とても一人でいって成果を出せる気がしませんでした。

電話応対もままならず、チームのメンバーとあまりコミュニケーションを取れず。

結局半年で辞めてしまいました。

ここでもう一度、今度こそは大学に入ろうと決意しますが、とあるお誘いを受けます。

ネット通販の営業先である水産加工会社さんからでした。

「人手不足だからちょっと手伝わない?時給は高くするよ」

当時、私が考えた苦手なので絶対やってはいけない仕事リストに「水産加工」がありました。

魚を捌けないし、キツくていつも怒号が飛んでいるイメージがあったからです。

即断ろうとしたのですが、「短期間だから、時給高くするから」と誘われ、

「まぁ、仕方ないか」

と渋々体験して見ることにしました。

これが私の人生を大きく左右することになるとは知らずに…。



その新しいアルバイト先に着き、まずは一通り会社の設備を説明してもらい、いよいよ加工体験に入ります。

水産加工の現場はまぁ、私のイメージ通りでした。

普段は優しく、冗談をよくいうおちゃらけた感じの社長さんですが、工場長を物凄い剣幕で怒鳴りつけます。

体力も力もない私には、持つ荷物全てが重く感じました。

「これはすぐに辞めよう」

そう危機を感じました。

でも、私の我慢強いのと真面目な性格が仇となったのでしょうか。

そんなに仕事のできない私ですが、その社長さんからかなり期待されていました。

とある日、居酒屋につかれ会社のビジョン、社長の夢を語ってくれました。

同じ夢を追っているものとして、その社長を応援したくなりました。

2〜3年、社会経験としてちょっとやってみよう。
不思議とそのような気持ちとなりました。
そうして正社員として正式に雇用されることになりました。

水産加工会社の朝は早いです。

通常朝6時出社。早出の時は朝3時出社もあります。

技能実習生と一緒に朝早くから作業をします。

慣れないトラックの運転で港まで魚介類を運びに行きます。

ミスをすると怒鳴られます。仕事のできない私は怒鳴られない日がありませんでした。

ワークライフバランスという言葉は吹き飛びました。とにかく寝る暇も惜しんで働きました。

その甲斐もあって会社は倍々ゲームで売上を増やしていきました。

でも、その時は思いもしませんでした。

数年後、私の手によって会社を畳むことになるとは…。

重く、暗い話になるので詳しくは下記にまとめます。


そして、現在へとつながるわけです。

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