大江裕似の幼なじみとの思い出

私が絵の世界に興味を持つきっかけとなった一人の幼なじみがいる。

今でも時々彼のことは思い出す。小学生の頃、よく遊んでいた。
もう数十年連絡すらとっていないのだが…。

今日はずいぶんといい天気だなぁ、と空を眺めていたら急に彼のことを思い出したので、
今日は彼との思い出を綴ることとした。

まずどんなやつかといえば、ガタイが良い。
彼とは小学1年生からの付き合いだったが、小学校を卒業することには身長約170センチ、体重は100キロオーバーだったと思う。

その体型に似合わず温厚で、力が弱く、少女趣味で男子とつるむよりも女子とつるんでいた方が多かったような感じだ。

雰囲気は、最近知って「似ている」とびっくりしたのだが、演歌歌手の大江裕さんのような感じだ。

※大江さんのインスタグラム

そして大のポケモン好きだった。


小学生の頃の自分はポケモンよりも当時流行っていたデジモンの方が好きだったので、あまり趣味は合わなかったと思う。

後に私がポケモンに興味を持ったのは、少なからず彼の影響があったと思う。

前に遊戯王を始めたことで社交性を身につけた、と記事にしたが、彼は遊戯王に興味すら示さなかった。


ではなぜ彼と親しくしていたかというと、絵が好きという共通の趣味があったからだ。

当時私は絵が下手くそで(まぁ今も特別うまいわけではないが) 彼はクラスで一番うまかった。

手先も器用で、裁縫、工作、料理となんでもこなせたのを覚えている。

そんな彼の一番の特技はデパートのアナウンスの物真似。

「ピンポンパンポーン…。〇〇からお越しの△△様、××様がお待ちのため、至急サービスカウンターまでお越しくださいませ」

このような感じだ。このセリフを裏声で言う。


家も近所なので良く遊びに行った。(道路を挟んで100mくらいしか離れていなかったと思う)

彼の庭では家庭菜園をしているのだが、立ち入り禁止!と言われたのを私が中に入っていって泣きながら怒られたこともあった。何気ない普段の日常だったが、なぜが記憶に残っていることが多い。

そんな家庭菜園をしていた畑も今では住宅街となってしまった。
前に自分のルーツであるその地を見に数十年振りに行ったのだが、当たり前だが当時とはガラリと風景が変わってしまった。

畑は全て住宅となっていた。


数十年前、現実に実際に体験したことなのだが、

夢で見た景色のような、自分が空想で作り出した物語の世界の景色のような、
なんだか、現実なのに現実ではないような景色になってしまっていて、すごい違和感だった。

記憶が薄まるということは、現実と空想の境目がぼやけることだと最近身をもって体験した。
だから思い出の品みたいな、現物の実体のあるものを取っておくことは重要だと思った。

それが現実世界で本当に起こったことだという証明になるから。

思い出として心にしまっておくだけでは足りないのだ。
デジタルデータでも足りない。
実体のある物でなければならない。

人からものをもらう時、そのものは大事に取っておきたいと思っている。
もしくは、人にものをあげる時はなるべく実体のあるものでプレゼントしようと思う。

そのものを見返して「これは過去に起こった紛れもない事実なんだ」と再確認できるから。
それが重要である。

私がアナログの絵にこだわる理由のひとつでもある。


彼と会わなくなったのは私が引っ越ししたのが原因だ。

しかし、別れの挨拶もしないまま引っ越してしまった。
いや、メンタルの弱い私が言えなかっただけかも知れない。

いつか、絵の世界で成功を収め、名前が知られるようになったら再会したいとは思う。


その後、私も決して順風満帆の人生ではないけどここまで生きてこれた。
彼もどのような道にすすんだかはわからないが、いい人生を歩んでいることを願っている。

小学生時代は彼の存在により助けられたし、成長できた。
今も彼との思い出が今の辛い会社員生活の支えにもなっている。


こんな本音で書けるのも今は全く面識がないからだ。
普段会えるような間柄であればきっと素直に思いは伝えられないのかも知れない。



こうして過去を思い出していると、もう出社の時間になってしまった。

憂鬱な気持ちとは真逆に、重い腰をあげ準備をしなければならない。


しかし、妙にやる気が出ている。


今日もいつかの日と同じような快晴だ。

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