【底辺ブログ】田尻ゆきなりのプロフィール 〜底辺でも好きなことで生きていきたい〜


自己紹介とこのブログの趣旨

はじめまして。
底辺ブログの管理人「田尻ゆきなり」と申します。

まずは当ブログにお越しいただき、誠にありがとうございます。
底辺ブログを運営しております、「田尻ゆきなり」と申します。

最初に私がどのような人間なのか、どのような人生を歩んできたのかを紹介したいと思います。

そして、このブログを公開する趣旨について説明いたします。

「田尻ゆきなり」という人間について/なぜ「底辺ブログ」を始めたのか


もうどうしようもない底辺人生。
それが私が今まで歩んできた道。

学生時代はいわゆる『陰キャ』で友達が少なく、嫌われ者。
いじめられたりもした。

生まれながらにしてコミュ障。


そんな私の唯一の心の支えは『絵を描くこと』

ど田舎の底辺高校を出て、職を転々としつつも、
幼き日に見た『絵描きになる』という夢を今も追っています。

このブログは、そんな とある中年・独身・低学歴の底辺が必死に生きつつも、趣味を謳歌し、
夢を叶えるために努力していく日常を綴っていくブログです。

年を重ねるにつれ、思い出はどんどんと薄れていき、過去の出来事について徐々に忘れていってしまう寂しさがあります。

このブログを始める1番の目的は私の記録用です。
後になって、「あぁ、こんなこともあったなぁー」と過去を振り返るため。

そしてもうひとつの理由は、こんな底辺の私でもちょっとした生きた証が欲しかったので私の人生をブログに綴ってみようと思いました。

そうは言っても、多くの人に見てもらいたいなぁ、というのも本音です。

あわよくば、このブログで知名度を上げて、多くの人に自分の絵を見てもらいたいという下心があるのも事実です。
でも、私が学んだこと・恥ずかしい失敗談・経験を惜しみなく書いていきます。

なるべく、みんなの役に立つようなことも一生懸命記事にするつもりですので、できればこのブログに目を通していただけたらと思います。

私の過去と残りの人生に対する決意

人は「死ぬ気」になれば何でもできる


恥ずかしながら、私は人生が上手くいかなさ過ぎて自分で命を絶とうか悩んだこともあります。
でも、臆病すぎて結局実行できませんでした。

自分の臆病さ・行動力のなさが、この時だけ役立ちました。

その時思ったのは、人は『死ぬ気になれば何だってできるな』ということです。

自分がその後自ら命を絶つと決まっていれば、例えば
自分が死ぬ前に、例えばお金をたくさん盗んで豪遊したり、
今まで自分をいじめてきた人に復讐することだってできるはずです。

実際、そうやって多くの人を巻き込んでの犯罪に及んだ事例もたくさんあります。

犯人が当時の私と同じ心境だったのかは分かりませんが、
有名なところでいうと2008年に起きた秋葉原通り魔事件が有名でしょうか。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%8B%E8%91%89%E5%8E%9F%E9%80%9A%E3%82%8A%E9%AD%94%E4%BA%8B%E4%BB%B6

「死ぬこと」を本気で考えた時にたどり着いた考え

でも、それって自己中の極みみたいなものだなと、自分で思いついて恥ずかしくなりました。
その後、自分の愚かさに気づき悲しくなりました。

自分一人の勝手な行動で多くの人を不幸にする。
どんなに私が嫌いな人だって、私をいじめてきた人だって、
家族がいて、その人を大切に思っている人がいるはずです。

自分の人生が上手くいかないからといって、
関係のない人を巻き込むことは絶対にやってはならないことです。


かといって、自ら一人で命を絶ったとしても
大きく世界が変わったり、世の中が動いたりするわけでもありません。

むしろ私の死を、私を嫌っている人が喜び、
私を慕ってくれている数少ない人を悲しませることになります。

それだったら反対に、死ぬ気で私の周りにいる人たちのために尽くしてみよう、と思いました。

どうせ死ぬなら、お世話になった方に今までいただいた恩を返して、
自分の周りの方のために微力ながら力を尽くし、せめて社会貢献してから死んでいった方が、
自分の周りの人たちにも、自分にもいいはずです。

もちろん、死なないことに越したことはありません。


でもそう思うと、不思議と何だか、肩の荷が軽くなりました。

思っているよりも人の命は儚い


人はいつ死ぬか自分では決められません。

明日死ぬかも知れないし、1時間後に死ぬかも知れない。
東日本大震災も経験して、本気でそう思うようになりました。

震災以外でも事故などで多くの親しい人たちの死を身近で経験してきました。

自ら命を絶つことは、その人たちに失礼にあたります。
その人たちは生きたくても生きられなかったのです。

ーだから私にはその人たちの分、生きる義務がある。
そう思うようにしました。


そう思うようにすると不思議と今度は、やる気がみなぎってきました。

それと同時に、今まで自分のことばかり考えていたなと感じました。

年収がどうとか、学歴がどうとか、人より優れているとかいないとか。


そんなこと、死を前にすればどうでも良く感じます。

子どもの頃は永遠に感じられた人生もいつかは終わりを迎える

もし、あと10年、5年、いや残り1年で死ぬとしたら…。


やり残したことはないのか?

お世話になった人たちに感謝を伝えられているのか?

本当に大切なのは、いつ死んでもいいように毎日を悔いのないように生きることではないのか?


そう自問自答しました。

そうすると案外、死ぬ前にやりたいことがいっぱい出てきました。

絵の作品だってまだまだいっぱい描きたいし、漫画も小説も書いてみたい。
日本国内にだって行きたい場所は山ほどあるし、生まれ故郷にも死ぬ前に行きたい。
お世話になった先生方や昔の友人やクラスメイトにも会いたい。

人生最後の日に後悔しないために今できること


もっと自分の気持ちに正直になろうと思います。

「いい年になってまだ夢を諦めてないのか?」

そう思う人もいるかも知れません。
でも私にとってそれはどうでもいいことです。


私は最後の日を迎えた時に、

「ここまで生きてよかった」

そう思えるように生きたいだけです。

そして生まれてきたからには、多くの人たちの幸せのために微力ながら力になれたらと思います。

出会えた人との縁を大事にし、その人たちと楽しい日常を送り、その人たちのために力を尽くす。
そして、絵描きとして少しでも多く、自分の世界をこの世に残したい。

残りの人生で願うことはそれくらいです。


でも人間、やっぱり欲が出るみたいで
今はまだまだやりたいこと、勉強したいことが山ほど頭に浮かんできています。


最後に後悔ないように。

私は残された毎日を必死に、一生懸命に生きる所存です。



このブログが少しでも同じ悩みを抱える人たちの為になれたらと願っております。



2022年7月 田尻 ゆきなり






私の歩んできた人生について、より詳細なことは下記にまとめてあります。↓


そして、私の作品もぜひご覧いただけますと幸いです!

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