社会を甘く見て中途半端な決断をしてしまった社会人4年目
絵を描いて、その絵を売って生活できるのが理想ですが、どうも自信がなかった私は、食い扶持としてデザインを学ぶことにします。
でも、その時はデザイナーを舐めていたのでしょう。
学校に入るでも人に教えてもらうでもなく、「未経験OK」という職に非正規で入り、働きながらデザインの技術を学ぶ道に進みました。
8月に新卒で入ったアパレルの倉庫業を辞め、約1ヶ月間遊んだりしてリフレッシュしたのち、10月からは晴れて「デザイナー見習い」として働くことに。
でも、ご想像の通り、現実はそんなに甘くありません。
ネット通販業務だったのですが、新規事業所開設だったのでゼロからのスタートでした。
まずは商品集めから。つまり、私の苦手な営業をやらなければならなかったのです。
幸い、営業が得意な人と同行したのですが、とても一人でいって成果を出せる気がしませんでした。
そして今までやったことのなかった電話応対もままならず、チームのメンバーとあまりコミュニケーションを取れず。
結局半年で辞めてしまいました。
出会いは突然に、運命は必然に
ここでもう一度、今度こそは大学に入ろうと決意しますが、とあるお誘いを受けます。
ネット通販の営業先である水産加工会社さんからでした。
「人手不足だからちょっと手伝わない?時給は高くするよ」
当時、私が考えた苦手なので絶対やってはいけない仕事リストに「水産加工」がありました。
当然私は魚を捌けないし、キツくていつも怒号が飛んでいるイメージがあったからです。
即断ろうとしたのですが、「人が集まるまでの短期間だから、時給高くするから」と誘われ、
「まぁ、仕方ないか」
と渋々体験して見ることにしました。
これが私の人生を大きく左右することになるとは知らずに…。
新天地での社会人生活5年目
4月2日。新年度の区切りよく新しいスタートを切ります。本当は1日からでしたが、シケのためお休みになりました。(天気や海の状態が悪いと水揚げが少なくお休みになります)
その新しいアルバイト先に着き、まずは一通り会社の設備を説明してもらい、いよいよ加工体験に入ります。
水産加工の現場はまぁ、私のイメージ通りでした。
普段は優しく、冗談をよくいうおちゃらけた感じの社長さんですが、よく工場長を物凄い剣幕で怒鳴りつけてました。
そして、体力も力もない私には、持つ荷物全てが重く感じました。
「これはすぐに辞めよう」
そう危機を感じました。
でも、私の我慢強いのと真面目な性格が仇となったのでしょうか。
そんなに仕事のできない私ですが、その社長さんからかなり期待されていました。
とある日、居酒屋につかれ会社のビジョン、社長の夢を語ってくれました。
同じ夢を追っているものとして、その社長を応援したくなりました。
死ぬ気で仕事を頑張った日々
2〜3年、社会経験としてちょっとやってみよう。
破天荒な社長でしたが、人間としての魅力に溢れ、付き合いが長くなるほど不思議とそのような気持ちに変わっていきました。
そうして正社員として正式に雇用されることになりました。
水産加工会社の朝は早いです。
通常朝6時出社。早出の時は朝3時出社もあります。
技能実習生と一緒に朝早くから作業をします。
慣れないトラックの運転で港まで魚介類を運びに行きます。
ミスをすると怒鳴られます。仕事のできない私は怒鳴られない日がありませんでした。
ワークライフバランスという言葉は吹き飛びました。とにかく寝る暇も惜しんで働きました。
その甲斐もあって会社は倍々ゲームで売上を増やしていきました。
でも、その時は思いもしませんでした。
数年後、私の手によって会社を畳むことになるとは…。
重く、暗い話になるので詳しくは後日まとめます。
そして、現在へとつながるわけです。